リバティー島に立っている!

つまり向かって右がEAST SIDE、左がWEST SIDE
正面に見える緑がセントラルパークのカケラです(^^;)


ホテルの近くのデリで朝食♪
ここではコンビニにお惣菜やさんが合体していて、そういった「デリ」と呼ばれるお店がいたるところに点在しているので食べるものには困りません(笑)
サンドイッチも現物があるので注文は指差しでオーケー(^皿^)
このボリューム!
パストラミがこれでもかーって入っている。ケチじゃないよね。
味に当たり外れがありません。どれも美味しい♪

航空機とホテル代だけ食事なしオールフリーのツアーでしたが、
今回は初めての地ということもあり、オプショナルでベタなニューヨーク観光をすることに

寄せ集めの総勢31人が観光バスで出発だぁ~

早朝なので人影もまばら~
バッテリーパーク

ここからフェリーに乗ります。
↓海兵隊の記念碑が… この左手先には厳重なセキュリティがあるので写真はここまで~(^^;)

フェリー乗り場の前にテントがあって、そこで検査を受けます。警官ウヨウヨ怖いよ~
乗船に際してはパスポート持参です(チェックはなかったけどね^^;)
荷物のX線検査があり、リュックとか大きなものは持ち込み禁止、ベルト外して靴まで脱いだ(汗)
…ま、乗ってしまえばこっちのもん (何が?^^;)

マンハッタンが遠ざかっていきます…
朝イチでこの混みよう


別に定員オーバーじゃないです。ちゃんと数を数えて乗せていましたから~
みんな3階のデッキ部分に集まるからこういうことになるだけ(笑)
お、見えてきたぞ!

全員、カメラを構えて撮りまくります~(^@^)
その間も、フェリーは猛スピードで島に近づいていきます…
自由の女神

アメリカ人の代表とも言える 自由の女神 は本来は移民だったのです。
1865年、フランスのエドゥアル・ド・ラブゥレイをはじめとした議者たちが国内にみうけられた政治抑圧傾向への抗議の表現として自由と自立を讃え、象徴するような贈り物をアメリカ合衆国に贈ることにしたのです。
ちょうどその時期、アメリカは南北戦争が終結し奴隷制が廃止され独立百周年を迎えるところで、国民主義、経済発展、新科学技術の導入に伴い、記念碑建築ブームが起こっていました。
そこでラブゥレイの友人であった彫刻家のアウグスト・パルトルディはこの時代の波に乗って古代ギリシャ巨像の現代版を創作しました… (パンフレットから抜粋)

1874年にフランスで制作が開始され、1884年に完成。
薄い銅版で作られた像の問題点をクリアしたのが、エッフェル塔で知られる橋梁建築家のエッフェル。だから中身は鉄骨組みです(^^;)
内部を見学&王冠の展望台へ登るには別途記念碑パス付き入場券が必要で、予約しないと手に入りません。
像の台座10階部分まではエレベーターで上がれますが、その後はさらに階段をのぼり…王冠部分にたどり着く頃には天国にいっているやも(コラコラ^^;)
現実的ではないのでパス~!
ここに来たがった、動機不純なヤツ


「ニューヨークへ行きたいかぁ~!」
福留さんの掛け声をご存知の方は

その昔、ブームになった「アメリカ横断ウルトラクイズ」の最終決戦地がここ、ニューヨークでありました。
そしてそのクイズの国内予選は東京の後楽園球場(現・東京ドーム)であり、
第一問が決まって「自由の女神」にまつわるものなのデシタ。
とある回では…
「自由の女神は裸足である」 ○か×か
答えは…
コレだ!

彼女はサンダルを履いていました(^^;)
おみやげ物屋さんの大きな像を見ると、鎖が一緒に表現されています。
実は、自由の女神は鎖につながれていて、
それを引きちぎって一歩踏み出したという設定なのだそう。

実際は、かかとの部分が建設のときの像内への出入り口になっていて、
終了後に閉じられたとか(^^;)

自由の象徴として立てられたはずの女神像はその後、世界情勢によって国債を買えだの徴兵に参加せよだの政治運動や国政風刺、果ては室内照明の宣伝やら観光推進に至るまで好き勝手に利用されもみくちゃにされていきました。
いいことも悪いことも…そんな扱われ方がかえってリアルで、アメリカ国民の心をとらえて放さないのかも…
リバティー島に上陸するときに厳重なセキュリティチェックがあるのも、うなづける。
自由の女神像はアメリカの心なのだ。
とても大切なものなんだね…
「猿の惑星」のラストの衝撃がわかったような気がした (おいおい^^;)

帰りも混雑~(^^;)まだマシなほう。このあとどこに行っても長蛇の列になります。
リバティ島に渡るなら、朝イチがおすすめデス。
(ほかにフェリーで近くを通るだけのツアーもアリ)
帰り道、エリス島に寄ります…

独立戦争後の10年くらいはアメリカに渡ってくる移民は毎年約5000人くらいでしたが、20世紀の初めになると同数の移民が毎日!やってくるようになり、1907年4月17日には、なんと11747人もが到着したとか(^^;)
一級・二級船客は船上で移民手続きを受けることができたけれど、下級船客はエリス島に移され受け入れ管理局の監視下におかれたのでした…
医師の健康診断、入国審査を受け無事にアメリカの地を踏んだ人々は3分の1がニューヨーク市内に留まり、そのほかは全米に旅立っていったそうです。
(我々は時間の都合で下船せず、見学はパス~)

マンハッタンがふたたび近づいてきました…

なぜか、ホッとする?(^^;)
今日もおつきあいいただき、ありがとうございます

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| NY | 12:31 | comments:20 | trackbacks:0 | TOP↑
猿の惑星が出てくるとは・・・ エンパイヤーステートビルだとキングコングですよね。
なるほど、自由の女神像がサンダルで鎖付きだなんて、いまでこそネットで調べて勉強できるけど、当時はクイズの勉強も大変だったでしょうね~
オイドンは独立戦争勝利の後フランスから送られたぐらいしか知りません~
しかし、あのクイズでアメリカ観光する努力なら普通に働いて行った方が確実かもですね~
自由の国アメリカでも撮影禁止のセキュリティがあるんですね、口外したらCIAからつけねらわれたりして・・・
gerogero女子大生久々の登場ですね~ パストラミで満腹になったご様子が若干窺えたりして・・・(^_^;)
| ワル猫です | 2010/09/06 12:58 | URL | ≫ EDIT